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鮎毛鉤釣りの旅

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鮎毛鉤釣りを中心に、私のささやかな釣り日誌
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カテゴリ:自然( 2 )

  • 椎の実の想い出
    [ 2012-11 -05 22:22 ]
  • ご存知ですか?『海を見よ』のメッセージ
    [ 2012-09 -18 23:17 ]
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2012年 11月 05日

椎の実の想い出

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「椎の実の想い出」

 秋晴れの空高く、ススキがなびくそよ風に、重ねてきた歳月を、物寂しく想う今日この頃。と、ススキの風景を見ながら洒落てみましたが、秋は食欲の秋でもあります。秋も深くなると、子どもの頃は森に出かけて行き、ドングリや椎の実を採りに行きました。ドングリは、出きるだけ大きいものを採って、片方のポケットに一杯になるまで詰めます。椎の実は、ドングリに似ていますが、黒く細長い小さな実で区別がつきます。椎の実には、当たりはずれがあり、より黒く細長いものの方が、当たりで美味しいです。椎の実を見つけると、先ずそのまま皮を剥いて口に入れます。その年最初の椎の実を口に入れた瞬間は、何とも言えず嬉しく、甘みのある味が口に広がります。今でもその瞬間の味が口に蘇ります。幾つかその場で食べた後は、手当たり次第に椎の実を探し出し、反対側のポケットに一杯詰め込んで、家に帰りフライパンで塩をふりかけて炒ります。パチッ、パチッと弾く音を立てて香ばしい匂いが漂います。炒った実を熱いうちに薄皮を剥がして食べますが、甘みが増してさらに美味しく、自分で採って料理したおやつに満ち足りた気分になります。 
もう片方のポケットに入れた一杯のドングリは、箱に空けて、形の良いものから、コンクリートで頭の部分を削って、中の実を釘でくり抜いて、笛にします。ドングリの大きさによって音が違います。また、爪楊枝にさしてコマにしたりして遊びます。
 森は、椎の実、銀杏、アケビに桑やグミなどの木の実、そして、茸と、折々に豊かな実りがあります。時期を見定めて、森に木の実を採りに行く気分は格別です。木の実を採っていると夕方は、木々の間から木漏れ日が差し込み、童話の中のニンフやドルフなどの妖精が出てくるような不思議な美しさに心が打たれます。林や森は、子どもを優しく包み、想像力や感受性など豊かな感性を育んでくれます。

 1998年度、2005年度、2009年度と三回にわたって全国約1万人の小学4 年生、小学6 年生、中学2 年生の3 学年に行われた文部科学省の全国の「青少年の自然体験活動等に関する実態調査」では、「海や川で貝を採ったり、魚を釣ったことがあるか」という自然体験に関する問いに対し、1998年度では42%の子どもたちが「何度もある」と回答したのに対して、2005年度は27%、2009年度では26%となり、42%の子どもたちは「ほとんどない」と回答しました。
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「大な木に登ったことがあるか」という問いに対しては、1998年度では24%の子どもたちが「何度もある」と回答したのに対して、2005年度と2009年度では19%となり、なんと2005年度では54%の子どもたちは「ほとんどない」と回答しました。
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「キャンプをしたこと」という問いに対しては、1998年度では27%の子どもたちが「何度もある」と回答したのに対して、2005年度では20%、2009年度では18%となり、なんと2009年度では57%の子どもたちは「ほとんどない」と回答しました。
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この調査では、自然や生活体験と倫理観及び学習意欲の相関を調査したのですが、自然体験豊かな子どもは、学習意欲・倫理観も高く、学校、家庭、友だち関係の満足度も高いという調査結果でした。
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自分たち大人は、自然の中で遊んだ楽しい経験がありますが、今多くの子どもたちは、自然に中で思い切って自由に遊ぶ経験が少なすぎます。子どもたちが、自然の中で暗くなるのも忘れて、魚釣りや昆虫取りに夢中になる時代にしたいものです。
▲ by s-shiger | 2012-11-05 22:22 | 自然
2012年 09月 18日

ご存知ですか?『海を見よ』のメッセージ

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(写真は去年の夏の終わりの網走湖)

『海を見よ』

海水浴でにぎわう昼間とうって変わり、誰もいない月明かりに照らされた夜の渚を歩きながら、よく海を見ていました。時には静かにひたひたとうちよせる波、時には荒い波の砕ける潮騒に、自分の胸の内を語りかけました。そんなかけがいの無い青春の時、海は、母のように情けないようなちっぽけな自分を包み込んでくれる存在でした。やがて学生時代が終わり就職すると、海や山で時間を忘れて過ごすことや一人で海を見る、そんな時と別れなくてはならない・・大学最後の夏休みが終わる9月の末、東京に帰る前夜の海との別離を今も切ない思いで想い出します。

昨年東日本大震災の日に卒業式を予定していた立教大学付属新座高校の校長渡辺健司氏は、卒業式の祝辞に変えてホームページで「海を見よ」というメッセージを発信しました。このメッセージは、たちどころにツイッターなどのインターネットを通じて、全国の若者に広がり、多くの人々に感動を与えたそうです。「諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。」という問いから始まり、大学に行くことは、「学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。大学に行くとは、『海を見る自由』を得るためなのではないか。言葉を変えるならば、『立ち止まる自由』を得るためではないかと思う。」全文を紹介はできないのですが、渡辺さんのメッセージと若い日々に海を見て過ごした時とが重なり、強く心が打たれました。学生の時代は、自己を確立し、自立する前の青春の日々、感性が研ぎ澄まされる人生の貴重な時なのだと思います。

3月末になっても内定をもらえず、最後の合同面接会に来た青年のテレビのインタビューで、「3年生の時から何十社も説明会に行き面接をしたが採用されなかった。面接で将来の目標や夢を聞かれるが、就活に疲れて就職することしか目標として思い浮かべない。」この青年の言葉に、深い悲しみを感じました。青春のその時その時、時間を忘れて熱中して遊んだり、学問をしたりする時期を過ごさずに成長する青年は、その後の人生を如何に生きるのでしょうか。学習意欲や勤勉性は、児童期に主体的に熱中して遊ぶ子どもの方が高いという文科省の調査が報告されました。人の成長の発達段階では、その成長時期に欠くことのできないことがあるといわれています。思春期は、自分が何者であるかを問いかけ、悩みを通して自己を確立し自立性を養うそうです。国家百年の計は、人材の育成にあり。若者の『海を見る自由』を支えられる大学であり、企業や団体でありたいと思います。
▲ by s-shiger | 2012-09-18 23:17 | 自然
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